TOP INTERVIEW 水島徹&水島広子 想いを受け継ぐ二人

LTTの顧問に就任した水島広子と、代表取締役の水島徹。幼少のころから互いをよく知る二人が、広子にとっては父であり、徹にとっては叔父である創業者、水島裕のこと、水島家のこと、そしてLTTのこれからについて語りました。

広子さんと僕は同い年の親戚だけど、お互い話し始めたのは中学生ぐらいからだよね。
広子
私はわりと斜に構えた子供だったので、親戚の集まりでも、そんな楽しく談笑なんてやってられるかみたいな感じで。(笑)
ちょっと変わったところがあったかもしれませんね。
広子
子供らしくないってずっと言われてましたね。
徹くんのお父さんは子供嫌いで、「僕は子供は嫌い」と言いながら、自分の子供だと思うから徹くんを育てているんだろうなと思っていました(笑)。で、なぜか徹くんのお父さんの愚痴聞き役を私がやっていて。
ウチの父とヒロちゃん(広子さん)は仲が良かったね。面白いのはその逆も真なりで、私は小学校1年の頃から裕おじちゃん、つまりLTTを作った広子さんのお父さんの水島裕のことがとにかく好きだったんです。ですから、親戚が集まるとお互いにお互いを探して、すぐ2人で話し始めていました。

学者一家のビジネスマン。

そこで話す内容というのは、当時からLTTで医薬品の開発などをしていたので、薬を開発するのは大変だけどこれだけ儲かるというような話で。他の親戚は学者の一家だったので誰も興味を持たなかったのですが、私達はビジネスに興味を持っていたのでよく2人で特許が大切だとか、ロイヤリティが何%で、それはいくらになるといった話をしていました。完全に叔父の世代をひとつ間違えていて、友達だったんですね。
広子
自分のいとこくらいに思っていたんだよね?
そうそう。だから裕おじちゃんに「こんなことしてると、奥さん、綾子さんに怒られちゃうよ」なんてアドバイスをしていました(笑)。だからと言って話さずにはいられないような友達感覚でした。綾子さんは一つ上の世代で僕と裕はその下の子供同士という感覚をずっと持っていましたね。
広子
徹くんのお父さんは本当に厳しい人で、私と徹くんのお父さんが仲良くできたのは私が子供っぽくなかったからでしょうね。子供らしくないことを言うと「何か面白いことを言う子だね」みたいな感じで。徹くんのお父さんはがんで急逝されましたが、生前、お見舞いに行った時、すでに私は精神科医だったのですが、精神免疫学にどれほど意味があるのか、といった本を持っていくと、「あの本はなかなか面白かったね。だけど引用している文献がちょっと古いね」と言われたのを憶えています。最後まで科学者でしたね。
私の父は本当に純粋な科学者なので、応用とか、お金儲けとか、そういうことに一切興味がない、というか、嫌いでしたね。私は子供心にそういうのもありだけれど、なんだか面白くないなと思っていました。でも裕おじちゃんと会うと日頃聞けない話がたくさん聞けるので非常に楽しかったです。

商人の血も流れる体。

実は私も7~8年前まで学者だったんですよね。学者をやりつつLTTも経営していたので研究もビジネスも両方に興味があります。ただ、研究者は純粋に真理を明らかにするタイプと、それを使って何か人の役に立つものを作るタイプに分かれるんですね。父は前者で、叔父と私は後者です。
広子
でも、ビジネスのことを考えるっていうのは不自然ではなくて、実は水島家は祖父、水島三一郎の前の代まで増見屋という呉服問屋をやっていて、商人だったんですよ。それが番頭の持ち逃げにあって(笑)。当時の越後屋、現在の三越と軒を争うような商店を日本橋でやっていたんです。だから多分私もそうなんですけど、私の父も徹くんにもそういう商人の血は流れてると思います。
ただ、番頭に持ち逃げされたのがね。(笑)
広子
なんか詐欺に遭いやすいっていうのも我々の特徴。(笑)
廃業したのは9代目ですかね。我々のおじいさんが10代目です。

研究の道へと進んだ祖父。

広子
文化勲章を取った私たちの祖父の水島三一郎が、東大の大学院の入学のときの面接で「水島くんの家は商売をやっているんだよね?」と東大の先生が聞いたら「もう商売は懲り懲りです」とまるで自分がやったかのように言ったそうです(笑)。けれども水島三一郎は見事に商売から脱して物理科学者として成功した人ですよね。
研究していたのは物質の構造ですね。例えばジクロロエタンという物質が回転していて、それにより二つの形をとるとかですね。残念ながら孫で完璧にそれを理解している人は誰もいないですね。
広子
水島家っていうのは、子供をかわいいかわいいって可愛がる家風ではなかった。私と祖父のやりとりは、「問題を出してあげよう」と言って、息を吹きかけるときにフーって早く吹きかけると涼しいけど、でもハアーッてやると温かくなるのはなぜかといったものでした。それを考えていくと、錆の研究に繋がるって言われて。
結局祖父が亡くなるまで私はその問題が解けなかった(笑)。水島家の大人と子供のやりとりって、そういう問題を出してあげようみたいなものが多くて、徹くんのお父さんにその話をして「まだ解けてないんだ」って言ったら、「あれはわかったよ」と言ってくれたんですけど、その答えを聞く前に亡くなってしまって。未だに何故なのかわからないんですよ。

学問と現場の違いを感じた大学時代。

その後私は東大の薬学部に進んで、そこに行けば薬が作れると思っていました。ところが実際に薬学部っていうのは、基礎的な研究しかやっていなくて、20歳前後の若気の至りもありますが、こんなことやっても薬はできないだろうなと。それで裕おじちゃんと話をしていると、薬をつくるというのはこういうことなのか。全然違うなと。もう発想も違えば研究のやり方も違う。強烈にギャップを感じて、自分はその両方を理解して何とか裕おじさんと同じように薬を作りたい、と思いました。

私は三人兄弟で、兄と姉がものすごく優等生なんです。ですからほとんどの人は二人に比べるとあいつはちょっと、という感じで私はまともに取り合ってもらえなかったんですが、叔父だけは私の不真面目なところやいい加減なところを評価してくれました。おそらくそれは叔父自身も、真面目な優等生だった私の父と比較されて苦労してきたからだと思います。
その上で私が薬に興味があると言ったら、大学4年生の私をまだ誕生したばかりのLTTの会議に呼んでくれて、「お前だったらどうする? 」というような話をしてくれて、非常によくしてもらいました。

今でこそ大学の人が特許を取って薬を作ったお金でまた研究をすることは良いこととされていますが、昔は邪道で学者の風上にも置けないと言われていました。叔父はそういう意味で、すごく苦労した世代だと思います。
広子
その時期からお金がないとそもそも研究できないという風潮になってきて、父の影響でお金のことを堂々と語れる人が世の中にも出てきました。水島裕の家は、面白いことを言うことが勉強ができることよりもすごく評価されていました。うちの中で面白いことが言えるのが私だけだったんです。徹くんも面白いことを言うから、父からの評価が高かったんじゃないですかね。
あんまり広子さんには直接は言ってないかもしれませんけども、裕おじちゃんは私にはよく広子さんの話をしていましたよ。特に政治家になった後の話はもう本当に何度も同じ話を聞かされて(笑)、広子さんのことが本当にかわいいんだろうなと。叔父はいろんな面を持っていますが、政治もすごく一生懸命やっていました。党派は違いますが自分の娘が政治をしてくれたというのはすごく嬉しかったんだと思いますね。

研究と開発のために、迎えた危機。

LTTの会社にとって一番大きい出来事はアスクレピオスという会社の問題でした。LTTは2004年に上場をし、上場すれば資金調達できると思っていたのですが、実際にはなかなか資金調達できない状況でした。叔父はLTTを何とかしたいという思いがものすごく強くて、経営状態のいい会社を買って、その資金を使って医薬品開発をしようと考えていました。そこで、どこかいい会社はないかと、さまざまな人に聞いたところ、いい会社があると紹介され、アスクレピオス社側も「水島裕先生の研究に貢献できるなら、私達はぜひ子会社なりたい」ということで、子会社化することを決めました。

ところが子会社化してみると、実際は、儲かってるどころか全く何もしていない架空会社みたいなものでした。すぐにそれが判明したのですが、関係者がどんどんいなくなってしまって。そのときの叔父のストレスはすごいものがあって、自分が良かれと思ってやったのにこんなことになり、もうLTTもどうなるかわからない。なかでも叔父にとって一番のストレスは、このせいで今までみんなと一緒にやってきた医薬品開発ができなくなるかもしれないということでした。このことが発覚してから叔父が亡くなるまで、わずか2ヵ月でした。
広子
その頃、一度父から私に電話がかかってきて、いろいろ今大変でそっちにも取材が行くかもしれないけど、それはもう知りませんと言ってくれと。心配しなくていいからね、みたいな内容でした。
本人はそういうことはあまり気にしない感じで飄々としていましたし、あえてなのかもしれませんけども、ゴルフに行ったりしてました。けれども、相当なストレスがあったんだろうなと思います。
広子
父が急死して、LTTは少し休憩のような感じになりましたが、最近は良い感じになっていると思います。父はリポ剤によって得た特許料を、家の収入にはせず、若手研究者の育成のために使っていました。だから我が家は貧しかったのですが、結局私もその体質を引きついで、国会議員やボランティア活動に力を入れて、経済的には決して豊かではなくても、社会のために何かやろうと考えてしまいます。これは父から引き継いだ姿勢です。

「社会のために」が生んだ、北京泰徳製薬。

広子
父・裕が中国へ行ったのは本当にすごい先見の明ですよね。
本当にすごかったと思いますね。叔父は中国の事業で利益を上げようとは全く思ってなかったんです。議員になって日中友好で中国に行ったとき、日中友好病院がボロボロで。大平首相が日中国交正常化を記念して作ったけど、いま日本から全然お金が貰えないから何もできないんですという話をされたそうです。だったら私が発明した薬があるからこれを中国で開発しませんかと。
広子
自分の特許を差し出したんですよね。
見返りを求めずに差し出したんですね。でもそれじゃあまりにも申し訳ないからと申し出があり、LTTが3割、病院が7割の株式を所有すると決めて北京泰徳製薬を設立し、LTTが発明した薬を中国で開発することになりました。でもそこからが大変で、そもそも当時の中国には西洋薬はないわけです。どうすれば承認されるかが全くわかりませんし、費用もどんどんかかる中で、LTTも病院も資金力に乏しく、たくさんの借金を重ねて開発しました。しかしそれが中国の歴史から見ると、西洋薬のさきがけとなりました。やっとのことで承認されて、爆発的に売れたんです。漢方薬しかない中国で売れたのはある意味当たり前なのですが。先進的な技術で作られた薬を出した北京泰徳製薬は中国でも知らない人はいないぐらいの会社になった。でも叔父が知っているのはそこまでです。その後、あるときからその3割の株の配当としてLTTにお金が入ってくるようになり、いまこうしてLTTが存続できています。

今でも私はよく中国に行って、当時叔父が一緒に仕事をした人たちとよく話をします。中国の人が水島裕を評価したのは、とにかく一切の見返りなしに協力してくれたからだと。だから水島裕先生はもう絶対なんだと。北京泰徳製薬徳と協力して「水島裕展示」も作りました。後を継いだ私にも大変良くしてくれます。田中真紀子さんが中国に行ったらすごく歓待を受けたそうです。中国人は井戸を掘ってくれた人は忘れません、と。当時の中国にしてみたら、角栄さんがいろんなことやってくれたという思いがある。それと本当に同じですね。ですから温家宝元首相も叔父にすごく感謝して、握手している写真が北京泰徳製薬に飾ってあります。

その道が初めてでも、直感を信じる。

とにかく叔父は人がいいんです。だから騙されたりもするんですが、人がいいから中国の本当に困っている人を助けようと。とはいえ中国で事業をするのはすごい先見の明です。北京泰徳製薬は今やとても大きな会社になり、この薬も多くの人の命を救ったということで、中国から叔父は表彰を受けました。私から見ると、叔父としてはそんなに深く考えたわけではないんでしょうけど、直感的にこういうことはやるべきだと思ったら、全部最初にやるんですね、大学の人間がベンチャーを作るのも叔父が先駆けの一人です。
広子
大学発のベンチャーはもしかしたら一番最初かもしれません。
これもやっぱり当時、大学人の風上に置けないとみんなに言われ、研究で金儲けするのかとすごい批判を受けて。でもあまりそういうことを気にせずやって、今では大学でベンチャーを作るのは当たり前になりました。本当に先見の明があるなと思いますね。叔父の専門はDDS(ドラックデリバリーシステム)という薬を患部に届ける技術ですが、始めた頃はどういう意味があるんだと言われていました。薬なんてアスピリンのようにいいものがあれば絶対効くんだからと、ほとんど注目されなかった。ですが今やDDSがなくては薬は作れないと言われるまでになりました。
広子
DDSは薬を体の中で患部に配達する仕組みみたいなもので、例えばステロイドは素晴らしい薬ですが、全身投与するとものすごい副作用があるんですよね。だけどステロイドでなければ治らない病気がある。そこで彼が考えたのが、特許になったリポステロイドです。患部に届いてそこで初めて効くようにすると全身に副作用が出なくて済むというものです。それを初めて聞いた時にはちょっと感動しましたね。そんなことができるとは思ってもみませんでしたから。

この先のLTTの姿とは。

ノスタルジーとかそういうことではなく、これからのLTTでも叔父がやりたかったことをやりたいなと思っています。そんなに大きく売れなくても、患者さんの役に立つものを作ろうと。現在一番力を入れているのは、抗がん剤の副作用を減らす薬の開発です。一般的には抗がん剤を開発したいところですが、実は抗がん剤の副作用を減らすことも抗がん剤と同じくらい非常に重要なんですよね。叔父が生きていたら、こういうところにパンと目が向いただろうと思って、開発を進めています。たぶん叔父も喜んでくれると思います。

叔父から聞いて印象的だった話がありました。子どもの頃、徒競走ではコーナーが混むんです。普通は一等賞になりたいからコーナーに突っ込むんですよ。でもそこで叔父は待つんです。待って後から行こうとするんですね。人のいないところを目指そうとする。薬も同じで、患者さんにとって本当に役に立つんだけども、あまり注目されなかったり、人の評価を得にくい分野があって、そこに薬を届けたいと思っています。ブルーオーシャンを目指していくことはビジネスにおいても重要なことですよね。私はビジネスをする上でそこは意識しています。

もう一つはやはり中国です。叔父は本当に困っている状況を見て助け、苦労しながらもうまくいったのですが、今の日中の協力はその時代よりうまくいっていない部分があります。政治的な問題もありますが、たぶん叔父が生きていたらそういう難しいことはさて置き、近い国なんだし仲良くやろうよ、と言うと思うんですね。せっかく叔父が作ってくれた信頼関係があるので、この中国との関係を生かしてビジネスをして、もちろんお金を儲けるのも重要ですが、日中両方の役に立つことはぜひやってみたいです。結局は両方とも叔父が目指したことです。LTTがどうとかではなく、それこそが、いま日本に必要なことのように私は感じます。

何でも言える二人の関係が、安心をつくる。

広子
私はLTTの顧問という立場ですが、もともと徹くんには何でも言える関係です。私が誤解して「これ変じゃないの?」と言っていたら「それは誤解だよ」と指摘してくれるくらいの関係性はあります。働くのは徹くんで、それが水島裕の家族で実の娘である私から見て「これはうちの家だったら選ばないんじゃない?」というようなことを言っていく立場が顧問なのかな、と思っています。父は特許料をすべて若手研究者の育成のために使いました。私自身もボランティアのような仕事をたくさんやっています。結局は、親子で似た者同士なのかな。
私からすると広子さんの存在は、特に株主のみなさんにとって安心感を与えるという意味で、すごく大きいと思っています。株主の方々から見ると、薬づくりは難しくてよくわからないかもしれない。ですから本当にこの先ちゃんと成功できるのかとか、いろいろと不信感があると思うんですね。広子さんはLTTの存在理由や、設立の経緯がわかっています。そういう人が近くから見て常にチェックして、場合によってはアドバイスする。これが株主の方々の安心感に繋がるなら、会社にとってものすごく大きなことです。広子さんには、いろんなことを報告し、アドバイスをもらいたい。広子さんの言葉は株主の言葉だと思って対応していけば、株主のみなさんから見ても良い会社になれるのではないかと思います。

今なお、叔父とともに生きる。

広子
父は、一生懸命頑張ったとか言われるのが大嫌いな人でした。父が亡くなった後、校正途中の原稿を私が引き継いで校正したのですが、そこでも一生懸命頑張ったっていうところは絶対に消してほしい、何か常に余裕がある優雅な存在でいたいっていうのがありました。だから交響曲を作曲して、NHK交響楽団に演奏してもらって自ら指揮したり、映画を作ってみたり。私の大学受験の日の朝、一生懸命ドライヤーをかけていたら、父が嬉しそうな顔してそれを見るんです。受験の日の切羽詰まったときにも優雅に過ごすことは大切だって言って父がすごく喜んでいました。
叔父が開発したリポステロイドは、残念ながらほとんど売れませんでした。ただプロスタグランジンという別の物質を入れた薬は中国で1年間に700億とか800億円ぐらい売れる薬になりました。実は医薬品開発に関して言うと、私にとって叔父は過去の話じゃなくて現在進行形でして。

いま臨床試験の準備をしています。それは抗がん剤を投与するとしびれが残って、例えば包丁が握れなくなるといった副作用があるのですが、それに効く薬の臨床試験を行う予定です。

実はその薬は水島裕が発明したものなんです。

たぶん1980年代、叔父が一番元気に研究してるときに作り出した薬なのですが、臨床試験を何度おこなってもうまくいかず、私に引き継がれまして。私も一度失敗してますが、再挑戦します。臨床試験をやるわけですから病院に行って説明をするのですが、叔父がどういう発想でそれを作り、どういうことが期待できるのかという話をします。ですから私にとって水島裕は今でもすごく近い存在なんです。叔父はどういうつもりでこういうことやったのだろうと思って文献を見たりすると、意外に誤字脱字があったりして(笑)。ですから私にとっては過去ではなく、今一緒に生きている感じですね。
水島 徹薬学博士
LTTバイオファーマ代表取締役会長兼社長・最高経営責任者(CEO)

1967年10月生まれ。東京大学薬学部卒、同大学大学院薬学系研究科修了。卒業後、山之内製薬、九州大学、岡山大学を経て、2004年より熊本大学教授、2006年より熊本大学薬学部附属創薬研究センター初代センター長として、また2011年からは慶應義塾大学教授としてドラッグ・リポジショニング(DR)研究を広める。2008年、 LTTバイオファーマ取締役会長および北京泰徳製薬有限公司副理事長に就任。2019年より現職。

水島 広子医学博士
LTTバイオファーマ顧問

1968年3月生まれ。慶応義塾大学医学部卒、同大学院修了。摂食障害、気分障害、トラウマ関連障害、思春期前後の問題や家族の病理、漢方医学などが専門。「対人関係療法」の日本における第一人者。
慶大医学部精神神経科勤務を経て、民主党の公募・落下傘候補として2000年6月の衆議院選挙で栃木1区から初当選。2005年8月まで2期5年間をつとめる。衆議院議員在任中は、主に厚生労働委員会と青少年問題特別委員会に所属。
2005年12月〜2006年7月、北カリフォルニアに住み、アティテューディナル・ヒーリング・センター(Center for Attitudinal Healing)でボランティアも経験。心の健康のための講演や執筆も多くこなしている。